七福神って、ご存知ですか??
恵比寿天(えびすてん)
大黒天(だいこくてん)
毘沙門天(びしゃもんてん)
弁財天(べんざいてん)
布袋尊(ほていそん)
福禄寿(ふくろくじゅ)
寿老人(じゅろうじん)
の7人の神様で、宝船に乗ったイラストが
おなじみですよね!
とっても縁起が良くて、お正月にはよく
みかけますけど、どうして、
この7人の神様なんでしょう?
今回は、七福神の由来にせまってみたいと思います(^^♪
七福神の由来とは?
七福神の信仰は、室町時代に始まって、
江戸時代にはかなり、広まっていたようですが、
その発祥には、いろいろな説があると言われています。
七福神は、日本の神様だけではなく
中国やインドに起源をもつ、個性的な!?
7人の神様で、構成されています。
※詳しくは、こちら↓
⇒七福神の名前とは?どんなご利益があるの?
そんな神様なので、もともとは、個別に
信仰を集めていました。
それが、七福神となったのは、
仁王般若経の「七難即滅 七福即生」に
由来するという説が有力です。
「七難即滅 七副即生」というのは、
仁王般若経の中のお経の一説で、
世の中の七つの大難はたちどころに消滅し、
七つの福が生まれる・・・という意味です。
この七難と七福とは・・・
【七難】
太陽と月の異変、星の異変、風害、水害、火災、干ばつや日照り、盗難
【七福】
寿命、有福、人望、清簾、威光、愛敬、大量
そして、この七福に当てはめられたのが、
七福神の神様で、以下のようになります。
寿命 → 寿老人
有福 → 大黒天
人望 → 福禄寿
清簾 → 恵比寿天
威光 → 毘沙門天
愛敬 → 弁財天
大量 → 布袋尊
人々の願望を、すべてかなえてくれるのが
七福神だったんですね!
三神は平安時代から?
七福神としての信仰は、室町時代に
入ってからのようですが、
インドの神様である大黒天をまつることは、
最澄が比叡山で始めたことだとか!
それが、民間に広まり、日本の神さまである
恵比寿天とセットで信仰されるようになり、
京都の鞍馬寺から始まった毘沙門天信仰も、加わりました。
大黒天・恵比寿天・毘沙門天の三神ですね。
また、琵琶湖の竹生島から始まった
弁財天信仰が加わって、
大黒天・恵比寿天・弁財天の三神の
組み合わせもあったようですね。
七福神が生まれるまでには、まだ少し
時間がかかるんですけど、
神様を組み合わせる!?という発想は、
このころからあった・・・というワケです。
もう1つの由来!?
銀閣寺に代表される、東山文化の時代、
中国から入ってきた、水墨画が人気を集めていたそうです。
その題材として多く描かれたのが、「竹林七賢図」
この絵に見立てて、7人の福の神を
集めることも、流行したとか!
個人個人が集めた、神様の組み合わせは、
当初は、定まったものではありませんでした。
ただし、7という数字は、中国でもインドでも
もちろん、日本でも特別な数字だったので、
7人の神様、という点は変わることはなかったのですね。
いかがでしたか?
七福神は、7人そろうことで、さまざまな
人間の欲望をかなえてくれる存在だったんですね~
江戸時代後半には、お正月の七福神めぐりも
かなり、流行したようです。
あなたも、七福神めぐり、してみませんか?
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